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玉木宏、男とくっつくのはイヤ!
- 2009.07.29 Wednesday
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- 12:24
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- by erotomokamo
7 月4日の公開初日の舞台挨拶には、現在製作中の映画版『のだめカンタービレ 最終楽章』前後編の海外ロケのために参加できなかった玉木。満員の客席から「お帰り!」という声が飛び交う中、「1カ月と1週間ぶりの日本です。初日に舞 台挨拶ができなかったことがとても心残りでしたが、今日、ここに立つことができてよかった」と挨拶した。
共演した山田孝之とセクシーに絡 み合うポスターが話題となっているが、「撮影しながら、あまりくっつくのはイヤだな、とお互いに言い合っていました。男の体温はあまり感じたくないですよ ね」と玉木。初日の舞台挨拶で、山田が玉木を「格好いい!」と絶賛していたことについては、「本心ではなかったのではないでしょうか。(善人を演じ)フラ ストレーションがたまる役だったので、僕の演じた結城がうらやましかったのでは?」と分析していた。
不快な感情を適切に処理する
- 2009.07.24 Friday
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- 16:48
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- by erotomokamo
といっても、友人は本気で自分をバカにしているわけではなく、冗談まじりに話しているだけで、皆も楽しそうに笑っています。
彼は、そんな些細なことで腹を立てて場の雰囲気を壊すのも大人げないと思い、なかなか友人に文句を言うことができず、愛想笑いをしてごまかしてしまいます。
しかし、やはりバカにされることは悔しいので、ストレスはたまる一方で、だんだん友人を避けるようになってしまいました。
彼の問題点は、文句を言えないということではありません。
文句を言ったほうがよいかどうかは、本人の性格や考え方にもよるし、友人との関係にもよるもので、一概にどちらが正しいとはいえません。
彼は、「些細なことで腹を立てるのは大人げない」と言っていますが、それは本心ではなく、ただ「大人げない人間だと思われることが悔しい」だけなのです。
彼が心の底から「腹を立てるのは大人げない」と思っているなら、それでいら立ちはおさまり、悩みは解決されるはずです。
彼は、文句を言うにしても、我慢するにしても、どちらにしても自分の意志が中途半端で、他人の機嫌ばかりを気にかけているところが問題なのです。
健全な人間関係を築く上では、怒りを表現しなければならないときもあります。
腫れものに触るように気を遣い合っていては、信頼も尊重も生まれません。
彼が友人のことを大切に思うなら、互いの関係をよくするために、怒りを適切に表現しなければなりません。
相手に悪気はなかったとしても、自分が傷ついているのは事実なのですから、「君のことは尊重しているが、こういう点だけは納得できない」と、気持ちを素直に打ち明ければよいのです。
また、相手に悪気はないのだから気にすることはないと本気で思うのなら、自分も冗談で悪口を言い返すくらいの心の余裕をもてばよいでしょう。
心の通い合った友人同士であれば、「本気でバカにしているわけではないことを判ってくれる」という信頼関係があるからこそ、軽い悪口を言い合えるということもあります。
言っていいことと悪いことの境界は、人によって異なります。その頃合いは、付き合っていく中で感じとっていくものです。
友人に悪口を言われて、内心では腹が立っているのに、笑ってごまかしていれば、友人は「これくらいなら言っても大丈夫」と判断するでしょう。
「気軽に悪口を言い合える関係」か、「絶対に悪口は言わない関係」か、どちらを選ぶかは、自分の自由です。重要なことは、自分が友人とどういう関係を築きたいのか、態度をはっきりと表明するということです。
ある人は、極度のあがり症で、他人とうまく話をすることができません。
彼は、恥ずかしいという感情を何とか打ち消そうと必死で努力しているのですが、どうしても人前では緊張してしまい、そんな自分を卑下して落ち込んでしまうのです。
彼の問題点は、恥ずかしいという感情を抑えられないことではありません。
自分が心から恥じるのではなく、「他人から恥ずかしい人間だと思われること」を怖れてしまっていることが問題なのです。
恥ずかしいという感情を何でも抑え込めばよいというものではありません。
本当に恥ずべきことは、しっかり恥じるべきなのです。恥を知らない人間ほど見苦しいものはありません。
自分がうっかり他人を傷つけてしまったり、他人に迷惑をかけてしまったりしたときには、心から恥じ入ることが、二度と同じ過ちを繰り返さないために必要なことです。
恥とは、自分を愛し、他人を愛するがゆえの自律心から生まれるものであり、自分を嫌いになるような恥は、本当の恥ではなく、他人への怒りや不満のすり替えにすぎません。
他人と接すること自体を恥ずかしいと思うのは、「他人は皆、私の一挙一動に関心を払うべきである」「私を尊重しない人は許せない」というごう慢さの裏返しです。
必要以上に自分を卑下する心理の裏には、そうすることによって他人の同情を引き、自分に気を遣わせようという意図が働いているのです。
重要なことは、恥ずべきこととそうでないことをきちんと区別するということです。
何を恥ずかしいと思うかということは、まさに個々人の価値観の反映そのものであり、自由に決めればよいのですが、ひとつ共通していえることは、「自分に何の悪意も過失もなく、他人を傷つけてもいないことを恥じる必要はない」ということです。
人間関係を築く上で障害となるのが、「怒り」と「恥」です。
これらは不快な感情であり、他人との関係を壊してしまうという不安を感じるので、つい無意識に抑えてしまいがちです。
しかし、人間に与えられた感情に不必要なものはないはずです。ありのままに感じ、適切に表現すれば、むしろ人間関係を進展させるものとなるでしょう。
保温
- 2009.07.17 Friday
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- 17:05
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- by erotomokamo
狙っているメル友がいるけど、今は忙しくて会えないという場合。
下手に盛り上げないで「保温」しておきましょう。
ほど良い距離にキープしておいて、時間の余裕ができたら一気に距離を詰め、
王手をかける。
そうすれば、忙しくてタイミングを逃しやすい人でも、
出会いを作ることが出来ますよね。
結構サラッと言っていますが、
実はコレ、凄まじいことを言っているんですよ。
他のジャンルでは、タイミングを作り出すなんてなかなか出来ません。
例えばマラソン選手は、大会の日程が決まっていて、
それに合わせてコンディションを高めていかないといけない。
「タイミング」に「自分の状況」を合わせるワケです。
ところが恋愛の場合では、意識すれば自分でタイミングを操作できる。
自分のコンディションに合わせて、マラソン大会を開催するようなモンです。
そう考えたら、卑怯なぐらい強力でしょ?(笑)
だから、コンディションが整っていないのにマラソン大会を開催してはダメ。
自分に余裕が出来る前に、相手を盛り上げ過ぎてはいけないんです。
ちゃんと「自分の状況にあわせて」、距離を操作してタイミングを作り出す。
これを意識するかどうかで、同じコトをしても結果はぜんぜん違ってきます。
タイミングに自分を合わせるか。
自分にタイミングを合わせるか。
あなたは、どちらで攻めますか?
ずいシチューをもっと美味しく
- 2009.07.08 Wednesday
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- 16:40
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- by erotomokamo
正月にシチューの作り方を失敗した編者にとって、そのシチューの美味しい作り方を伝授してくれた今日の番組は参考になりました。美味しいシチューを作る秘訣の一つは具を煮立てた後一度火を止め、ルーを入れて弱火で煮込むことだそうです。
シチューをより美味しく食べたいと考える日本人の多くがその秘訣を得て、シェフの味に近づけばそれは幸せかも知れません。しかし、そんな美味しさを追求しながら虚しさを感じている人も多いのではないでしょうか?
構造改革が必要だと主張して走り続ける小泉首相を応援する人は多いと思います。それでもいくら構造改革のためとは言え、あまりに影響力のある企業をつぶすわけには行かないと、少しだけ方向転換をしたと聞いています。
その一つが2兆円という途方もない借金を抱えた”ダイエー”です。最近この企業のニュースが多いと思いませんか?マスコミが多く取り上げるのはこの方向転換に注目しているせいではないかと思っています。
”ダイエー”は資産を処分して借金を減らし続けています。それでもまだ残っている借金は2兆円です。しかし、同じ頃に、2兆円という額を耳にしました。それはアフガニスタンという国の復興のために必要なお金が同じ2兆円だということです。
日本にとっては一企業を救うために必要なお金でも、アフガニスタンにとっては一国を救うことになります。より美味しいシチューを食べてもなんだか満足で きない日本人のこころのなかで渦巻いているのは、日本人にとってまずいと思われるシチューがご馳走である国があることを薄々気がつているためではないかと 思っています。
いくら景気が良くなってもそれだけで素直に喜べる時代はもう終わったのだろうと思います。今、アフガニスタンに必要なのは貧困を救うことと教育だそうです。これを知った自分自身がすべきなのは今すぐ、寄付をすることだとは考えていません。
貧しくて教育もなければアフガニスタンが一つの国であることさえその国民は知ることができません。知る前に飢え死にするだろうし、生き延びても国という概念さえ知らずに育つから、国のなかで紛争が続くのではないかと思います。
こんな事実を知って、それからしばらくして、無理なく自分のやれることを自分の意志でやり始めたとき、初めてシチューを美味しいと感じることが出来るのかも知れません。
お茶とキュウリとトマトの話
- 2009.07.06 Monday
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- 16:12
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- by erotomokamo
玉のように転がる飼い猫の毛の間に棲(す)むノミを取っては、また別の家の猫のノミを取って暮らしていた人が昔は居たらしい。それで暮らしが成り立つのだから豊かな社会だと言える。
せわしげに働いても働いても気苦労ばかりの暮らしはお金があっても豊かだとは言い難い。おまけに疲れて帰ってきて、挨拶もろくにしないような家庭では何を目指して生きているのか解らなくなる。
ちっとも気が利かない相手に、良かれと思って文句を言ってしまうと、良くなるどころか喧嘩(けんか)の種になる。それは子供でも親でも世界中で一番好き だった相手でも同じであるに違いない。とくに分かっていながら同じ失敗を何度も繰り返えす自分のことはほとほと嫌になるときがよくある。
こうあるべきだと考えるのは人間の勝手な考え方で、それはきゅうりをトマトのように赤く育てようと無理をしているようにも思える。涙ぐましい努力にもか かわらず、それが実らず落ち込むときもある。きゅうりはきゅうりとして育てて味わった方がよっぽど手っ取り早くて美味しい。
きゅうりをきゅうりとして味わうから騒ぐことなく静かに美味しく暮らせるのが「侘び寂」的なのかもしれない。
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